SINCE 24/03/2002 No.122 13/09/2003

  天才キット世界を撮る 第122号より

第2巻・アイスランド篇
氷の国の一人旅
−その19−
Presented by Kit Takenaga 
太陽は申し訳程度の高さに辛うじて顔を出すだけなので、山々の
てっぺんにしか陽が当らない。朝焼けの色がそのまま雪を染めている。
第2章 氷原の一歩
(3) スナフェトルス半島
教会の明かり
 そう言えば引っ越したんだ、と理解するまでにしばらく時間がかかった。翌朝目覚めて、見慣れない部屋にいる自分を発見し、少しうろたえてしまったのだ。ベッドからしてそれまでのシングル幅がダブル幅になっているし、何より、部屋そのものが広い。頭がはっきりするにつれて贅沢な気分が押し寄せてくる。考えてみればこの部屋も今晩まで、明日はアイスランドを離れ、アイルランドに戻らなければならない。

 部屋の窓から見える景色は相変わらず夜のままだ。ただ、ヘッドライトを晧々と照らして窓の下の道を通勤の車が通るのを見れば、もう朝だということが腑に落ちる。たった1部屋分近寄っただけだが、正面のハトルグリムス教会の尖塔の明かりがやけに間近かに見える。時刻は午前8時を過ぎたところ。クリスを10時に迎えに行くことになっている。

 朝食をとるために食堂に出てみたら、レイチェルが用意をして待っていてくれた。昨夜は、渡されていた鍵で1階の玄関のドアを開け、静かに3階の自室に戻って、わずかばかりの身の回り品と器材を隣に移しただけだったので、レイチェルを起こすことはなかったようだ。
 「明日、アイルランドに帰るよ」
 と言うと、
 「えーっ、もう帰っちゃうの。まだ来たばっかりじゃない」
 びっくりしたような声だ。
 「最初から短期間の休暇のつもりだったからね。あっちでまだ仕事があるんだ」
 そう言うと、
 「そう、仕事があるんじゃね。それに、冬のアイスランドじゃ、あちこち出かけるってわけにもいかないしね」
 理解が早い。
 仮に仕事が待っていないとしても、勤め人のクリスにいつまでも世話になっているわけにはいかないし、この国の冬場の自然環境がまだよくつかめていない現状では、単独行動にも限界がある。
 「あなたがいなくなると、しばらくの間、私一人だわ。予約も今のところ入っていないし」
 ちょっと寂しそうだ。
 時間があったら日本の話を聞かせて欲しいと頼まれていたことを思い出した。しかし、その時間は取れそうにない。セルフサービスだと言いながら、毎朝朝食を作ってくれた彼女に、こちらから与えるものが何もないというのは、なんだか済まない気持ちがする。

 クリスの家がある場所は、一昨日のドライブの途中で聞いていたし、簡単な地図も書いてもらっていた。その地図をレイチェルに見せると、具体的なルートを詳しく教えてくれる。10分ぐらいの距離だという。曲がり角を説明するのに、
 「国道に出て左に曲がったら、次の信号から数えて8つ目の信号を右折するのよ」
 と、えらく具体的だ。その信号の手前右手に大きなスーパーマーケットがあって、その駐車場の角を曲がるのだという。どうやら間違えることはなさそうだ。出掛けに一応、これから出発することをクリスに電話する。

 正面の教会を裏に回りこんで、大きな病院の角を右折し、しばらく直進すると国道に出た。国道はさすがに車が多いが、流れはスムーズだ。10分足らずで着いた。3階建てのアパートが4棟並んでいる一番手前の棟の、道路に面した部屋だというから間違えようはない。それでも、クリスが道路まで出て待っていてくれた。
 「ちょっとワイフに紹介するから」
 というので、車を降りて玄関まで行く。
 「コーヒー沸かしてあるから、飲んでいけ」
 と促されて、そのまま土足で2、3歩中に踏み込んだら、
 「おいおい、日本人は靴を脱ぐんだろう」
 と制止された。なんと、アイスランドでもほとんどの家は靴を脱いで上がる習慣なのだそうだ。外の雪の中を歩いた靴で踏み込んだから、登山靴のくっきりした足跡が白い大理石の床に残った。

 奥から小さな女の子と奥さんがでてきた。ちょっとおずおずした態度だ。女の子は完全に奥さんの背後に隠れ、目だけ覗かせてボクを見ている。
 「キット、これが女房のオルガ、あのちっこいのが娘のレイラだ。レイラ、キットにご挨拶しなさい」
 そう促されても、レイラは奥さんの後ろから出てくる気配がない。すっかり怖がってしまっているようだ。奥さんのオルガは、
 「キット、よく来てくださったわ」
 と綺麗な英語で応えてくれた。こちらでは、初対面の女性にはハグだろうか、キスだろうか、と考えている間もなく、手を差し出されたので握手。そのまま中に招き入れられた。

 1階の広い談話室でコーヒーをいただく。クリスがざっと間取りを説明してくれたが、まだ掃除が終わっていないので案内は今晩するという。今夜は、奥さんが手料理で歓迎してくれることになっているのだそうだ。藪から棒だが、拒む理由はない。ありがたくご招待を受けると答えた。

 しばらく話をしたが、なんだか奥さんも遠慮がちだし、レイラはすっかりボクを怖がって、今にも泣き出さんばかりだ。ボクも居心地悪いが、クリスもさすがに手をこまねいたと見えて、コーヒーを一杯飲み干したらすぐに出発となった。今日はレイキャヴィクから西海岸を北上してスナフェトルス半島を巡ることになっている。半島の先端には、アイスランドではもっとも小さいものではあるが一応氷河があるし、半島の海岸沿いにはいくつも小さな漁村が点在していて、なかなか風光明媚なのだそうだ。

 結局、クリスのお宅にお邪魔したのはわずか15分ほどだった。運転はクリスがやってくれる。ボクの運転では時間がかかってしようがないと言うのだ。
 市内を走る国道を北上し、昨日、一昨日と南海岸方面に曲がった四つ角を、今日は曲がらずに直進する。つまり、国道1号線を半時計回りに走るわけだ。このあたりからすでに街並みは途切れ、道の両側は原野になる。しばらく行くと、左側に海が開ける。まだ太陽は昇っていないが、すでに水平線上は紫色の朝焼けに彩られていて、その色が海面を染めている。波もない静かな海だ。天気は上々、温かくすら感じる。

国道1号線はこのあたりではほとんど舗装されていない。ダート道だが、コチンコチンに凍結しているこの季節は、舗装道路と同じ。農家の建物と大自然との大きさの対照にまだ慣れない。
 1時間ほどで完全に氷結したフィヨルドに出た。このフィヨルドは、アイスランド唯一のトンネル(しかも、海底トンネル)がバイパスになっていて、両岸の直線距離500メートルほどをわずか数分で繋いでいる。地図を見ると、旧道を行けば1時間はかかりそうな距離だ。トンネルを抜けて半時間ほど北上し、アクラネスへの分岐点を曲がらずに直進すると、今度はフィヨルドの上に架けられた橋を渡る。橋といっても、大半は石を積み上げてその上を舗装しただけの堤防状の道で、内と外の海が繋がっているのは真ん中のほんの一部分だけだ。

 渡りきったところがボルガネスの町。ガソリンスタンドが2軒、コンビニ兼食堂が1軒ある。ここでガソリンを補給。例によってクレジットカードを差し込むだけのセルフだ。
 ここボルガネスは、海沿いにありながら農業の街だ。北側には、国道の両側に牧場が連なっていて、左手は5キロほど先の台地の縁まで、かなり広大な平地が牧場になっている。谷間を縫って内陸部に分け入ると、野菜を生産している集落が点在しているそうだ。もちろんその全てが温室栽培だが、緑や新鮮な野菜に飢えたアイスランド人にとっては、パラダイスのような土地らしい。

山々の形は、南海岸に較べればなだらかだ。まっすぐ円筒状に隆起した台地が、風雨で削られた分だけ裾を広げたという地形の生成過程が、教科書の図解通りに目の前にある。
 11時を過ぎた頃太陽が完全に昇った。ただし、水平線上に申し訳なさそうに顔を出しているだけで、何を遠慮しているのか、それ以上昇る気配はない。雪をかぶった山々の頂きの部分だけが太陽光を受けて、朝焼けの紫色に輝いている。
 車を止めて数枚の写真を撮る。昨日までの2日間で見た南海岸の景色とはずいぶん趣が異なる。あちらはヘクラ火山の噴火で流れ出た溶岩原がまだ新しいので、言葉通り原野のイメージだが、こちらはフィヨルド地形だし、内陸部の山々も多少は浸食を受けた形をしている。ただ、平野部の幅は決して広くはなく、国道から山裾までは近いところで数百メートル、遠いところでも5キロほどしかない。

崖の断面から滲み出した伏流水がそのまま凍りついてカーテン状になっている。これが延々と続く。
 山裾から海までの距離がわずかしかないところでは、国道の右手は切り立った崖になっていて、滲み出した伏流水が凍りついた氷の襞模様が、まるでシルクのカーテンのように朝日を受けて輝いている。
 逆に、海岸や山裾までの距離があるところでは、数キロごとにボツンボツンと農家が建っていて、その孤立した状態が周囲の雪景色(氷景色)とあいまって、凄まじいほどの孤立感を醸し出している。一体、どうして人間はこうも周囲から孤立して生きられるのだろうか、という驚きにも似た感慨が頭をかすめる。
 海を背景に小さな教会があった。周囲に集落はなく、少し離れた位置に農家が一軒あるだけだ。その教会の入り口にかすかに明かりが点っている。こんなところに孤立して生活している人間は、そういうかすかな明かりにさえも、安寧の包容力を感じるのだろうなと、宗教の持つ根源的な力に思いを致さずにはいられない。異教徒であるボクにとってさえ、その教会のかすかな明かりがいやに暖かく見えたものだ。

かすかな明かりに孤独を癒される人々の気持ちがよく分かる。レイキャヴィクを出て2時間強、初めて見る教会である。
読者からのメール
▼alberataさんから▼

 まー、なんて美しい月の写真なのでしょう。素晴らしい。どのくらいシャッターを開放して撮影されたのでしょうか。粒子は粗いのかもしれませんが、壁紙にしていただくのは無理ですか?それにしても、メールからこの質問コーナーに行こうとするとNot foundになるのは悲しい。やっぱりマックユーザーだからでしょうね。

▼返信▼

 MACユーザーの方々にはご迷惑をおかけしています。できるだけMAC環境下でも作動するようにタグを書いているつもりなんですが、そこはシロートの悲しさで、alberataさんのようにお知らせいただかないと、一体作動しているのやらいないのやら、皆目分からない状態です。お知らせいただいたからといって、それが解決できるかどうかも確約できないわけですが、なんとかできるところはなんとかしたい、という気持ちですので、どんどん苦情をお寄せください。

 壁紙提供については、もしご希望があればいつでも応じます。商業用に転用せず、あくまで自分のパソコンから流出しないということであれば拒む理由はありません。ご遠慮なくお知らせください。

▼さらにalberataさんから▼

 KITさん、こんにちは。さっそく壁紙を送ってくださってありがとうございました。家の外はギラギラと暑そうですが、私のパソコンは零下の世界になりました。

▼返信▼

 このメルマガに掲載した写真はすべて、『商業用に転用しない』ことを条件にモニター用壁紙(1028*768px)として提供します。ご遠慮なくお申し出ください。一番下の「ご意見・ご感想」の「こちら」からどうぞ。


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